大学1年生の時に英検2級を受験しました。それほど苦労せず、準備も殆どしないですんなり

合格したことを覚えています。

中学、高校と英語が好きであり、成績も良かったのですが、その延長で試験を受けても問題ありませんでした。

大学3年の秋に英検1級を受けたのですが、最初から最後までわけがわからないうちに

あっという間に時間が過ぎてしまい、惨めな結果で終わってしまいました。

成績通知葉書もゴミ箱に直行でした。

あんな難しい単語を選ばせたり、ちんぷんかんぷんの専門的な論文を読ませたり、

あんなハイスピードでしかも込み入ったリスニングを聞かせて何になるのか、

この試験は非常識であり、おかしいのではないか、まともな英語学習には役に立たないのではないかと

勝手に思い込んでしまったのです。

今思えば、非常識だったのはこの私であり、自分の英語力の無さを試験のせいにしていたのでした。

恥ずかしい限りです。こんな態度でしたから、その後、英検とは縁がありませんでした。

自分から英検を避けていたというべきでしょう。

そんな私でしたが、会社に入ってから5年目(1981年)に、国内営業から海外営業に異動になり、

英語無しでは仕事ができない環境に置かれました。

■ 私をやる気にさせた動機

<いつか、あんな赤ペン先生が務まるようになりたい>

職場の先輩に英語の大家がおられ、FAXで送るための手書き文書を持っていくと、

赤ペンで原型を止めないくらいまで修正してくださるのでした。

いつか、自分も、あの先輩のように赤ペン先生が務まるようになりたいと強く願っていたのですが。

仕事の忙しさにかまけて、しっかりとした勉強もせずに英語を書いたりしゃべったりしていました。

仕事では何とか通じるので、自分は高度な英語力を持っていると勝手に思っていたのですが、

今振り返ると冷や汗ものです。

<目標になる同僚登場>

数年後、職場に、外資系航空会社を退職した人が途中入社しましたが、

その人の英語力の高さに驚き、いつかその人のレベルに追いついてやろうと思っていましたが、

目の前の仕事をこなすのに精一杯で、本格的な勉強をスタートさせるには到りませんでした。

それでも同僚を目標にして、リスニングの取り組みをやり始めました。

<悲しい、屈辱の記憶>

忘れもしない1982年4月のことです。国内営業から海外営業部に異動して2年目の私は

欧州のOEM(相手先ブランド)取引先への装置納入を担当しており、

先方のエンジニア(ティーチャークラス)向けの技術研修に通訳として派遣されました。

装置を設計した開発グループの人の通訳をやるのですが、技術的な背景が無いために、

技術者の日本語の意味がわからず、何度も立ち往生する場面がありました。

それでも、何とか終了させたのですが、契約金額を払ってもらうときに先方が、

サービスマニュアルと研修の費用支払いを渋ったのです。サービスマニュアルの出来の悪さと、

技術研修のときの通訳がへたくそだったので充分理解できなかったという点を突かれたのです。

ある日、私は、課長から呼び出され、食事しながらそのことを伝えられました。

そして、契約金額は満額支払ってもらうことになったから安心すること、今回のことを教訓にして

英語の勉強に拍車をかけるようにとの話がありました。

課長と別れてから、自分がどうしようもなく情けなく、涙をぼろぼろ流しながら、100分間の道のりを

歩いて帰ったことを 今でも鮮明に覚えています。

その日がきっかけでした。一念発起、本格的に英語を勉強しようと思ったのは。

私は、国内営業の5年間で全国ネットのシステムをいくつも決め、6億円近い商売をしてきました。

お客様から感謝され、対価としてもお金をきっちり頂戴してきました。

ところが、海外営業部に移ったら、お客様からお金を頂戴できない、ゼニの取れない営業マンに落ちぶれたのです。

そのことがひどく悲しく、屈辱を感じました。そして、その屈辱をばねにして英語を勉強しました。

2007年夏、私は、その当時の課長と会いました。定年退職を迎えられたからです。

食事しながらその話をしましたら、記憶が無い、そんなひどいことを言って申し訳なかったと

おっしゃったのですが、私は心からお礼を申し上げました。

あの一言がなかったら、私は本気になって英語を勉強しようとは思わなかったでしょう。

ここに書いたような経験はできなかったでしょう。私の成長を願う先輩の励ましの一言が、私の人生を大きく変えたのです。

今度は私がやる番です。

英語の学習で悩んでいる何万人、何十万人もの多くの人にとって少しでも役立つようなアドバイスをすることが

私の使命だと思うようになりました。

<病気からの生還-転機>

そんな無精者の私に転機が訪れました。1995年1月早々、突然の脳幹梗塞で右半身が麻痺し、

3ヶ月の入院を余儀なくされたのです。一時は、一生涯車椅子生活の不安が脳裏を掠めましたが、

真剣なリハビリ訓練によって、わずか3ヶ月で社会復帰を果たしました。

その時気がついたことは、会社から離れて名刺を持たない私には、自分が何者かを語るべきものが

ほとんど無いことでした。

「得意なものは何ですか?」「英語です」と答えようにも、それを客観的に証明するものが何も無いのです。

唯一証明で使えそうなものは、古ぼけた英検2級の合格証明書だけです。

英検2級の人など世の中に沢山居ます。

それだけでは、英語が良くできることの証明にはとてもなりません。

その事に気がついて、少しずつですが、英語の資格試験を研究し、参考書を買い求めて勉強するようになりました。

アルクの「TOEIC730点突破、1000時間ヒアリングマラソン」などにも、真剣に取り組みました。

<輝かしい成果>

そのような努力が実ったのでしょう。1997年春に英検準1級を受け、一次、二次ともに高得点で合格。

同時期に受けた初めてのTOEICで940点獲得。この勢いを駆って同年秋に英検1級を受験しましたが、

3点差で一次試験敗退。

単語とリスニングが弱点とわかり、旺文社の参考書を買ってきて

徹底的に勉強したことが功を奏し、翌年1998年春に一次、二次ともに合格しました。

まぐれだと思い、同年秋に1級を再受験したら今度も合格。それでも信じられなかったので

翌年も受けたら今度は余裕で合格。

受験を続けている知人が居たので、合格するまでつきあうことを宣言し、以来、今日まで23回受験してきました。

来る6月15日の2008年度第1回の英検1級も申し込みを済ませており、24回目の受験になります。

当面の目標は英検1級50回連続合格を果たして、日本英語検定協会から表彰状をもらうことです。

そういう制度があるかどうかは知りませんが。

そう言えば、昨年、協会から、突然、「生涯学習奨励賞」が送られてきました。

立派なトロフィーと賞状を頂きました。

2000年に通訳ガイド試験に合格(1999年の初受験では1次試験で敗退)当時は合格者が5%くらいであり、超難関試験でした。

国連英検は、2001年にA級に合格しましたが、特A級は惨めな結果に終わりました。

大きな学力向上を実感できるようになった2006年春に合格しましたが、1次試験の点数に

満足がいかなかったので秋にも受験。

2回連続合格でしたので、まぐれではなかったことを実感しました。

商業英検は、海外営業で仕事していたこともあって、貿易に関する英語を勉強しようと思い、

1998年にA級に挑戦して2回目で合格しました(英作文やり直し)。

さらに、世の中にはもっとすごい人たちが居ると聞いて、2001年春に、或る同時通訳・会議通訳専門学校を訪ねました。

ここは入学テストがあり、8000円とられます。今でもはっきり覚えていますが、

Excellent, Good, Fair, Improvement requiredの4段階評価。

単語・文法はExcellent、日英通訳はFair、リスニングはImprovement requiredの最低レベルの評価でした。

自分は英検1級を何度も合格しており、通訳ガイド試験も合格していたので、英語はものすごくできると思っていましたが、

鼻柱をへし折られてしまいました。

そのレベルの高さに驚愕し、入学したら、初めの頃はクラスでビリでしたが、恩師と呼ぶべきすばらしい先生に

出会うことができ、2年半の通学で、英語のリーディングとリスニング力を飛躍的に向上させることができました。

普通は、自分でこんなことを言うと恥ずかしいのですが、これだけは、正に実感です。

下線部が、クラス募集要項のキャッチフレーズでしたが、看板に偽りはありませんでした。